二十八部衆 写真
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歴史と文化財

 

当山は真言宗醍醐寺を総本山とする別格本山で、大悲山塩船観音寺と称し、現世を生きる人々の幸せを願う祈願の寺であります。

大化年間(645~650)に若狭の国の八百比丘尼が紫金の観音像を安置したことに始まり、周囲の地形が小丘に囲まれあたかも小船のような形状であることから、仏が衆生を救おうと願う『弘誓の舟』になぞらえて、天平年間に僧、行基が『塩船』と名づけたと伝えられています。

貞観年間には僧、安然が十二の坊舎を建てるなど、興隆を極めたと伝えられています。

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山門(仁王門)(国指定重要文化財・室町時代建立)

八脚門・切妻造りの茅葺き屋根で、都指定有形文化財である金剛力士像二体が安置されています。

当山の山号である「大悲山」の扁額が掛けられています。

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薬師堂(青梅市有形文化財)

 木造・寄棟作り・茅葺の趣ある小仏堂で、桃山時代の建物と推定されています。

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新護摩堂弘誓閣

 昭和中興三十周年記念事業において建立されました。

信徒の皆様を日々、御祈願する道場です。

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阿弥陀堂(国指定重要文化財・室町時代建立)

木造・単層・寄棟作りの銅板葺きで、昭和三十六年の解体修理において、国の指導により茅葺から銅板葺に変更となりました。天井には板張りが無く、簡素な技法で未完成のまま今日に伝えられたのではないかと言われています。

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普門閣

 普門閣では、お土産の購入やお食事ができます。

年中無休・営業時間 午前9時~午後5時

 

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鐘 楼

 四脚・茅葺の建物で、銅鐘は寛永十八年(一六四一年)作で、青梅市有形文化財に指定されています。

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本堂・厨子(国指定重要文化財・室町時代建立)

  木造・寄棟作り・茅葺きで、特に内陣中央の本尊を安置する厨子は極めて精巧な作りで、扉内側には普賢菩薩・文殊菩薩が描かれています。本堂の屋根は奥多摩の虎葺きと呼ばれる茅と杉皮の交ぜ葺きです。

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塩船平和観音立像

右手は胸の前に上げて、私ども衆生に手のひらを向けております。これは、施無畏印(せむいいん)と言い、衆生の恐れを取り除き、人々に安心を与える身振りです。

左手は与願印(よがんいん)といい、手のひらを正面に向けるのは衆生の願いを聞き入れ、望むものを与えようとする身振りです。さらに、手を下げているのは深い慈悲を表します。

また、持物(じぶつ)として、水瓶(すいびょう)を持っております。そこには、いくら使ってもなくならない大慈大悲の功徳の水が入っており、私たち衆生に無限に与えていただけると言われております。

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開山八百比丘尼尊像

「大悲山千手観音縁起記」(寛延四年西暦一七五一年再板)等によると、武州多摩郡塩船村の大悲山千手観音菩薩は、あまりにも古くその来歴はよくわからないが、土地の古老が伝えるところによると、大化年間(西暦645~650)に若狭の国の八百比丘尼が関東に遍歴したとき、この地こそ諸天鎮護の仏地であるとして堂宇を営み、一寸八分の紫金の観音像を安置したことに始まるとあります。

十一面千手観音立像(国指定重要文化財・鎌倉時代造立 文永元年1264年)

重要文化財の厨子に安置される御本尊千手観音は、ヒノキ材の寄木造り・玉眼・肉身金泥・衣漆箔で、頭上に十一面をあらわし四十二本の腕を持ち、大壇那浄成・栄覚のもと、仏師法眼快勢・法橋快賢によって、文永元年(1264年)十二月二十一日に作り始めたということが分かっています。

正式には十一面千手千眼観自在菩薩といいます。観音様は衆生の危難苦悩を救うため、三十三身に変化して私たちをお救い下さると言われますが、その中で最も私たちの願いを叶えて下さる(現世利益)お姿が千手観音です。千の慈悲の眼で観て、千の慈悲の手でお救い下さるのです。

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二十八部衆立像(国指定重要文化財・鎌倉時代造立 文永五年~弘安十一年1268年~1288年)

本尊千手観音を納める厨子の左右に、本尊を守護する眷属として二十八躯の仏像が安置されています。

これらを二十八部衆といい、文永五年(1268年)から弘安十一年(1288年)にかけて、仏師定快とその一門によって造られたものです。

その歴史的価値と二十八躯全てが現存しているという点で、有名な京都三十三間堂の二十八部衆に次ぐ存在として評価されています。

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阿弥陀三尊 (聖観音菩薩 青梅市有形文化財)

 阿弥陀堂に安置される阿弥陀如来は座像高三尺五寸で、江戸時代初期の造立と推定されます。但し、脇持の聖観音菩薩は本尊と同年代の鎌倉時代、勢至菩薩は室町時代像立と推定されています。

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薬師如来(青梅市有形文化財)

古い手法の等身大の立像で、一木作りのため造立年代の特定が困難ですが、現在では塩船観音寺で最も古い仏像ではないかと推定されています。

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仁王像二体(東京都有形文化財)

昭和四十八年の京都国立博物館での修理の際、阿形の胎内より万延元年の修理棟札が発見され、「寿永三年雲慶作」との記述が認められました。「雲慶」は「運慶」かと思われますが、おそらく慶派の流れを汲む仏師の作にて本尊と同年代の造立と推定されます。

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招福の鐘

当山大壇越山際由三氏の発願で嗣子國允氏の奉献によるものです。光明真言が天井に描かれ、諸々の災厄・病気等のなやみを消滅させ、撞く人に幸福がもたらされますようにと建立されました。大晦日には除夜の鐘を撞こうとする参拝の方で行列ができます。大晦日以外の午前六時前と午後四時過ぎは鐘撞を禁止しております。

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七社権現社

寺の鎮守として貞観年間(八五九~八七七年)に安然和尚が奉遷したと伝えられる七社権現が祭られており、内宮は江戸時代の建造物と推定されています。

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児玉稲荷社

児玉稲荷大明神が祭られており、七社権現社にならびつつじ園中腹にあります。造立年代は不詳ですが、子宝成就・安産出生に御利益があるとされ、現在も観音様のお稲荷様として信仰されています。

 

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真言宗醍醐派 別格本山 塩船観音寺 〒198-0011 東京都青梅市塩船194 電話 0428(22)6677